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【タモリの右目の謎】 82年から『笑っていいとも!』の司会に起用され、すっかり昼の顔となり、名司会者となったタモリだが、 デビュー当時は常に右目に海賊のような黒いアイパッチ(眼帯)をし、「教授」の風体で、「ハナモゲラ語」、 「イグアナのモノマネ」、「4カ国親善麻雀」などを披露するキワモノ芸人であった。 サブカルチャー好きの若年層には好評を博すが、中高年層には強い印象を与えつつも「薄気味が悪い」と不評だった。 「密室芸人」という評も与えられていた。 愛パッチからサングラスにかわり、それがタモリのトレードマークにもなった。 しかし、タモリがサングラスをしている理由は、「格好つけ」「根は小心者」「昔からの流れから」「大衆に迎合しないポリシーとして」など、諸説流れていた。 しかし、発売中の「フラッシュ」にタモリの“生い立ち”が特集されており、その中でタモリの目に関する過去が明らかになった。 フラッシュによると―― タモリは子供のころに右目にワイヤが突き刺さり失明してしまったという。 45年8月22日、タモリは福岡の高級住宅地、石垣に囲まれた大邸宅で生まれた。 両親は小学生のころに離婚、叔父が父親代わりとなって育てた。 内気で一人遊びばかりしていたタモリ少年だったが、小学4年生の遠足でアクシデントに見舞われる。 級友と遊んでいたところ、電柱のワイヤが右目に突き刺さり、失明してしまう。 塞ぎ込んでしまう時期もあったが、やがて人を笑わせることに興味を持ち、小学校の卒業式では漫才を披露していたという。 (引用 ここまで) 一説には台風で切れた電線をのぞきこんでいた時に電線が目に刺さってしまったとも言われている。 タモリといえば、ジャズ好きで、トランペット奏者を目指していたが、「トランペットというのは(音色が)泣いてないといけない。 お前のは笑っている」(タモリ談)といわれ、泣く泣く断念したという過去も持っている。 ボウリング場の支配人や喫茶店経営、さらに駐車場の経営などを経て、ジャズピアニストの山下洋輔氏との出会いから、30歳で芸能界デビューするなど、結構な苦労人でもある。 ボウリング場支配人の時には、ピンを動かす機械から油漏れが起きて、みるみる油が場内にたまってしまい、雑巾でもトイレットペーパーでも吸い込めなくなってしまった。 その時、タモリのアイデアで、女性アルバイトに生理用ナプキンを大量に購入させに行かせ、その場をしのいだという、アイデアマンでもある。 タモリ、たけし、さんまのお笑いビッグ3の中では一番謎が多いタモさんだったが、失明している(弱視?)ほどの大怪我を経験していたことは、あまり知られていない。 コメント(0)/トラバ(0) [コメントを書く] 重要なお知らせ@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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