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【木彫りの熊のルーツ】 昨日のブログをスマホから見たら、羆こわー。のブログはリンク成功してましたが、木彫りの熊ブログが行けてなかったので(ガラケーからは行けます多分) ここに転載します。 …………………………………… 2008年11月04日(Tue) 昨日の『カムイの夜明け』は面白かったです。 見た方いますか? アイヌの血を引く俳優の宇梶さん(お母さんがアイヌの人)が、「木彫りの熊」のルーツを探るドキュメンタリー。 意外にも、尾張徳川家の19代当主・徳川義親が関係していたとは。 彼が、スイスへ旅行に行った時のおみやげが手に乗るくらいの大きさの「木彫りの熊」だったようで、家臣達に『これとそっくりに彫ってみよ』と命じたそうな。 維新の動乱の後に、北海道へ開拓者として入植した家臣達が、苦境の時に彫ったのが「木彫りの熊」でした。 てっきりアイヌの人達の古くからの生業かと思ったんですが、違ったんですね。 そして思ったより北海道の「木彫りの熊」の歴史は浅かったです。 私が小学校低学年の時に隣町の月形町の親戚の家に行った時に、親戚の家以外の家にも連れられて行ったんですが、そこは「木彫りの熊」の職人さんの家でした。 アイヌの人だったのかどうかは忘れましたが、親指くらいの小さい熊をもらった記憶があります。 今は「木彫りの熊」より「木彫りの梟」が売れるんだそうです。 アイヌにしてみたら熊も梟も…全てが神なんですけどね。 熊頑張れ← …………………………………… はい。 ちょっと間違い入ってますので追記と訂正! 【徳川 義親】(とくがわ よしちか) 1886(明治19).10.5〜1976(昭和51).9.5 維新後尾張藩士が移住して開拓した北海道山越郡八雲村の発展とその中心である『徳川農場』の経営に尽力。羆の害を減らす為に熊狩りを毎年行い、冬季の現金収入確保のため「木彫りの熊」を作ることを奨め、後に北海道の名産となる。 ↑↑↑↑↑…なので、やっぱりアイヌの人が最初にやった訳ではなくて、尾張の開拓者が"生業"にしてたって事ですね。 時代的に"家臣"じゃないと思うので訂正。 徳川義親は最後の殿様といわれているそうです。 00:38 コメント(0) [コメントを書く] 重要なお知らせ@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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